今を大切に生きるため、誰にでもいつか必ず訪れる死や、死に方について、身近な大切な人と話し合っていくのは、その人の望む生き方を実現させるため欠かせないことだと思う。
現在の日本では、死をタブーとしている人が多く、延命治療や積極的治療が最善という風潮があると感じる。
看護師は「死」を身近に感じる仕事。
てきた患者さん、家族によって、様々な人生観・死生観がある。そのなかで、多くの人が最期=死というものを避けて、タブーとしていると感じた。
病院のベッドに寝たきり、見える景色は白い天井で、口から食事がとれなければ、鼻や腹部から管をいれて栄養剤をいれる(経管栄養)患者さんを多く看てきた。
患者さんが望んだ治療・状態であれば、希望を尊重し、看護師としてできうることを最大限に勤めていける。しかし、意識が低くなっていたり、認知症により判断力低下をきたしているなど、自分自身で選択ができない状況にあると、延命治療や胃ろう造設(何らかの理由で口から食事がとれないため、胃に管をいれて、栄養剤を投与する方法)といった選択を、身近な家族へ判断を迫られることとなる。
突然のことだったり、本人の意向が分からなかったり、家族はパニックにもなりやすく、とにかく命を繋ぎ止めたい一心で、積極的な治療を選択される場面を度々見てきた。患者さんは本当にこの治療や状態を望んでいるのだろうか、家族の本当の思いはどうなのか、葛藤が多くあった。
病気や怪我になる前、元気なうちから、自分自身の希望をなにか形にしておき、身近な家族など大切な人たちと日頃から話をしていくことで、少しでも後悔ない選択をすることができ、今を最大限に生きることにつながるのではないかと考えるようになった。死を避ける選択が、必ずしも良い選択にならないということを伝えたい。それは、死を選ぶということや積極的な治療、延命治療を否定するということではないことも重ねて伝えたい。
コメント